1978-04-14 第84回国会 参議院 決算委員会 第11号
これは衆議院の本会議において野坂議員の質問でありますが、その質問というのを、まあ大切な問題ですから読んでみますと、 戦争ニハ我々ノ考ヘデハ二ツノ種類ノ戦争ガアル、二ツノ性質ノ戦争ガアル、一ツハ正シクナイ不正ノ戦争デアル、是ハ日本ノ帝國主義者ガ満洲事變以後起シタアノ戦争、他国征服、侵略ノ戦争デアル、是ハ正シクナイ、同時ニ侵略サレタ國ガ自國ヲ護ル爲メノ戦争ハ、我々ハ正シイ戦争ト言ツテ差支ヘナイト思フ
これは衆議院の本会議において野坂議員の質問でありますが、その質問というのを、まあ大切な問題ですから読んでみますと、 戦争ニハ我々ノ考ヘデハ二ツノ種類ノ戦争ガアル、二ツノ性質ノ戦争ガアル、一ツハ正シクナイ不正ノ戦争デアル、是ハ日本ノ帝國主義者ガ満洲事變以後起シタアノ戦争、他国征服、侵略ノ戦争デアル、是ハ正シクナイ、同時ニ侵略サレタ國ガ自國ヲ護ル爲メノ戦争ハ、我々ハ正シイ戦争ト言ツテ差支ヘナイト思フ
中共にとりましては、外國貿易は帝國主義的な侵略を防止するという政策的な要請に反しない限りは、やはり平等互惠の原則に立ち、中共の原則に從つて軍需品及び復興建設資材等を供給いたし、國内の経済建設を助ける國でありますれば、それが何國であろうとも別に毛ぎらいする理由がないことは、現実の取引がこれを立証しておるように思われるのであります。
そのように戰前及び戰時中においては、今申し上げたような教育が、学校においても社会教育の面でも根本方針として行われたのでありましたが、このような方向をとることは当時の支配階級にとつて必要なことであり、当時の國家の性格から出て來るのでありまして、これはやがて帝國主義戰爭の準備と遂行に必要な教育であつたわけです。 そこで私たちは今日の状態を顧みる必要がある。
そうして非常な困難の中でこういう学校を建設して、昔というよりも、かつて日本の帝國主義のもとで、その教育文化をまつたく抑えつけられて、植民地的な教育をしいられて來た朝鮮人が、終戰後民族的な自覚と新しい朝鮮人の養成のために、非常に大きな努力をもつて朝鮮人学校というものを建設経営して來たのであります。
それは日本の軍隊、当時のいわゆる帝國主義軍隊が、必要以上な排外思想を兵隊軍人に持ちこませて、特にソヴイエトに対しては嫌悪感を植え付けていたことが、非常にこの先方との折衝に円滑を欠かしめた。それが初めの兵隊の生活の條件を悪くした一つの原因であつて、これは確かにそこのところには記して、置く必要があると私は思います。
その結果は教員たちの憲法上のいろいろな自由を押えるだけでなく、教員にとつて最も必要であるところの、將來持たなければならぬところの教員の自主性をますます弱くして、帝國主義時代、戰争時代におけるように、教員を卑屈な教員にしてしまう。もし日本の將來を思うならば、教員をこのような卑屈な状態に陥れることを避けなければならぬ。
日華事変から太平洋戰爭に及ぶに至りまして、日本におけるところの資本主義の帝國主義的な形態が、その極に達しました。そしてこの戰爭のもとに、ものすごい闘爭が行われたのであります。この戰爭の結果、はたして何を得たであろうか。私たちにその結果むごたらしい生活の窮乏と困窮をのみ残されておるのでございます。國土は荒廃しております。そしてその中からポツダム宣言が日本の民主化を要請しております。
日華事変から太平洋戰爭にかけて、日本の資本主義及び帝國主義的な野望はその極点に達したのでございます。この間におきまして、労働者は七十年の長い間、軍隊と官憲に守られた資本家のもとで、あくどい搾取を受けておつたのである。隷属的な労働を強いられて來ておつたのであります。
昔の役人は、あるいは勳章とか、これは昔の軍國主義、帝國主義の時代ではございましようが、そういう一つの名誉のあこがれを持つて働いた。最近はさようなあこがれもないので、あまり能率を上げたところが大したことはないという、いわゆる信賞必罰の制度がない。これは今日の官公吏の能率の上らない一つの理由だと思う。さような点をどうお考えになつておるか。
かつて日本の軍閥、財閥どもは、人口問題、移民問題を帝國主義的侵略の道具に利用しました。アメリカや南米その他海外におきまして、日本移民の問題について種々な問題が発生したのも、その一半の責任はここにあると考えるのであります。私どもは、かかる政策には絶対反対であります。日本がもし眞に民主化された平和國家として出発するならば、民主的な海外諸國は喜んで日本移民を迎えるでありましよう。
例えば帝國主義的な、軍國主義的な思想に対して排除されるということは明かにされておると思うのですが、若し左翼的な文献、社会主義的な文献、共産主義的な文献等が排除されるということならば、当然これは戰時中若しくはそれ以前における特高警察的な意図を目的として文書閲読の自由を極めて制限するものであつて、これは憲法の趣旨にも反するし、勿論ポツダム宣言にも反すると思うので、その点に対する見解を伺いたい。
今後日本が進む上において、世界の民主主義國と提携する上において、日本の政府担当者が——はたして帝國主義の戰爭の血でよごれていない人がやつているかどうか。これは決定的な問題である。 吉田総理について、私は一つの書物をここで読みたいと思います。山浦貫一氏の書いた森恪の傳記の中に、こういうことが書いてある。これは、すでに戰犯として処刑された鈴木貞一は、ぼくと森と吉田と会食したという記事がある。
御存じの通り東方会議は、満州事変から結局太平洋戰爭にまで突入した日本帝國主義の侵略戰爭の発端を成しておるものである。(「そうだ」と呼ぶ者あり)この傳記において、先に極東裁判によつて無期禁錮に処せられた鈴木貞一氏は、こう言つておるのであります。「僕と森と吉田と会見した。
この大公報という新聞は、日本の現在の貿易政策は明かに経済帝國主義である、或いは又、中國の政府側においても、或いはイギリス方面からでもこのような低賃金によるダンピングに対しては、種々の抗議があるのであります。我々はこう考えますとき、このような貿易政策が國際的に如何に我々に不幸をもたらすかということは、これは極めて明白なんであります。
これは非常に時代と逆行した一つのものの考え方であつて、將來地方税はお互いの親密な度合いの中に、地方行政が満足に、円満にやつて行けることのために、國税と違つて、また從來の日本の國家主義の思想、あるいは帝國主義の思想であつたかもしれませんが、國家権力で税金を取上げるという形でなくして、地方の自治体だけくらいはそういうものを適用しない。
つまり先程からお話を聞いておりますと、或る者は生れつき共産主義者であり、或る者は帝國主義者であるというような固定した考え方の上に立つて証人たち一同証言をやつておりますけれども、私達は捕虜になりました際はかちからの軍國主義者であります。後で段段と変つて行つたのであります。或いは早く変つた者、或いは遅く変る者、又ここまで参りましても変らない者、こういう工合にその速度が違うのであります。
曾て私は被圧迫階級の一人として、あの貴族の人々によつて、或いは帝國主義的軍國主義者によつて支配されておつた軍閥日本の下に、私たちはその手下共に、この野郎、こん畜生と言われて日夜苦しめられた來た。併しそのような時代が今過ぎて、この白亞の殿堂は決してそういうような昔の軍國主義者、或いは貴族たちの独占するところではない筈であります。この殿堂の中ではいろいろの力が闘つておると思います。
保守内閣だ、反動内閣だ、そうして又この内閣は二本の民主化を防げ、帝國主義に逆轉させる内閣であるとさえ(「そうじやない」と呼ぶ者あり)批評を受けておつたのであります。そのやつて参りました跡を見ましても誠にそれを思わしめるものがある。私共は誠にこの新日本建設に際しまして、かくのごとき内閣ができましたことを憂えておつたのであります。
従つて、ここに現われたところの中國の問題、日本と外國との関係について、ああした帝國主義的な思想がここに現われて來るのは当然じやないか。このような外務大臣をいただくことは、日本にとつて非常な不幸である。 その次に、私は労働問題についてお伺いしたいと思います。吉田総理は、施政演説の中で、ただ一つだけ正しいことを言われておる。それは、こういうことである。
満州事変を勃発せしめた昭和六年に労働爭議調停法を作り上げて、実質上爭議行爲を禁止し、人権の自由を抑えた旧日本帝國主義看たちの姿を私は改めて思い出さざるを得ない(「そうだ」「うまい」と呼ぶ者あり、拍手)爭議権のない團結権は事実上無償値同様であるばかりでなく、法理論り立場からも爭議権なき覇結権は自己撞着を免れない。
この爭議行為禁止の條章は、特にわれわれが強く心を突かれる点でありまして、労働階級が何よりもこの本律案に対して憤りを感じた点は、この爭議行為禁止の法律案の精神は、今われわれが思いを過去に立ら返らしめてみまするならば、往年、すなわちわが日本の帝國主義者どもが、彼らの野望を満たさんために帝國主義戰爭強行へのいろいろな用意を進めたことでありまして、その当時日本の支配階級は、労働階級に対しましてあらゆる方法を